オイド映画祭東京とは

One step beyond ~どこかの、誰かのための、その場所に

「オイド映画祭東京」の拠点、高円寺・アンノウンシアターが出来たばかりの頃、
来場されたある方からこんな話を伺いました。

「おお、日本にもやっとこんな小屋が出来たんですね」
「?。どう言う事ですか」
「ついこの間まで、ハリウッドで仕事をしてきたのですがね」
「はい」
「LA辺りだと、これくらい(30人収容程度)の大きさの小屋がいっぱいあってね。
 クリエイターとオーディエンスがごちゃまぜになって、自分の映画や関わった映画なんかを上映して、
 喧々諤々ディスカッションしている訳よ」
「ああ、そうか。実際に映画に関わっている人も多いですもんね」
「そう、そこらへんのダイナーのウェイトレスのお姉さんが、オーディションに受かったってすこぶる上機嫌だったり。
 キッチンのお兄さんが、徹夜でシナリオ書いたあとで、寝ぼけまなこでハンバーグ焦がしちゃったりしてるからね」
「(笑)それこそウチが目指しているところです」
「でね、つまりのところ、それがハリウッドの基礎体力を作っているんだよね」

アンノウンシアターで、様々なクリエイターの方の作品を上映していると、プログラムがすべて終わった後、
クリエイター本人がお客様以上に生き生きとした眼をして、シアターから出てくるのによく出会います。


「テレビ(ドキュメンタリー)をやっていた20代の頃に、先輩に(不特定多数ではなく)
『誰か一人に向かって作れ』と言われた。母親でもいいし、田舎のおばあちゃんでも、友達でもいい。
 誰か一人の顔を思い浮かべろと。以来、ずっとそうしています」
(引用元:「是枝裕和監督『万引き家族』:「一人の少女に向けて作った」」(https://www.nippon.com/ja/features/c03012/)

そう、それはクリエイターにとっては、シアターの暗闇で、その「誰か一人」に出会った喜びなのかも知れません。
自分の作品に、ある一定の(人生の)時間を捧げ、心揺さぶられたはずの「どこか」の「誰か」に。
映画を創る喜びは、見てくれる「誰か」と共にある ―――
カンヌ映画祭60回記念製作映画「それぞれのシネマ」で、チャン・イーモウを始め幾人もの監督が
「映画を見せる喜び」を描いたのと、それは共鳴します。

オイドとは、「OH! I DO!」
「OH! 」は「(呼びかけに)応じる」「王道を行く」の「OH! 」。
そして「I DO!」は「実行する」「創り上げる」の「I DO!」

創り上げる大変さは、世界中どの現場でも変わることはありません。
シビアなプロの現場であろうが、アマチュアのドタバタであろうが、
ビッグバジェットのブロックバスターであろうが、予算ウン万円の短編作品であろうが。
だからこそ、「オイド短編映画祭」は「オイド映画祭東京」に一歩前進します。
世に生まれ出た私たちの作品が、「誰か一人」の元に届けられるのを、きちんと見届けるために。
そして120歳ほどの若々しい芸術が創り出す新たなる喜びを、無数の「誰か一人」と分かち合うために。

未来のデッサンとしての「短編映画」、あるいは「短編映画」の価値そのものを追求してきた
「オイド」の基本的な価値観が変わることはありませんが、私たちにできることは、沢山あるはずです。
一歩前に出て、ガレージバンドでも世界と十分戦えることを、証明してみせましょう。
壮大なオーケストラの音色も、小さなモチーフの積み重ねであるということを
「ええ、そうですよ」と、涼しい顔で言い放とうではありませんか。

日本の首都から、世界の人々の共有財産へ、「One step beyond」しようとしている東京。
クリエイターとオーディエンスが一緒になって、新しい価値を創り出す瞬間に「オイド映画祭東京」は立会います。
「誰か一人」は世界のどこかに、います。
東京というHubから、世界中の人々に、問いかけがちゃんと届く様をオイドは見届けます。

さあ、DO IT!

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